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適合補聴器が得られる時代の到来ー磁気ループなどの社会整備で社会参加もー

2007年8月15日 水曜日

 「薬事法の改正」(平成17年4月ー厚生労働省ー販売規制、即ち業者の認可制、販売補聴器適合責任など)、「特定商取引に関する法律等の改正」(平成16年11月ー経済産業省ー特に高齢者への訪問販売・電話勧誘販売・通信販売などの規制など)、そして「補聴器相談医制度」(平成18年4月ー日本耳鼻咽喉科学会認定)など、「補聴器」の位置付けが変わり、一人ひとり異なる聴え方に補聴器を適合・調整できる時代が到来している。

 これにより、年と共に聴えが衰え、七十才以上で約半数が補聴器を必要とする程になる(高齢化率が二十%を越えた我が国では一千万人以上が、当県でも十万人以上と非常に多い)難聴高齢者が、適合補聴器を獲得し、家族・社会より孤立することなく、閉じこもり・認知症・寝たきりにならず、亡くなる直前まで、自分の思い通りの活気ある人生を送れる時代が到来したことは非常に喜ばしい。

 そこで、これを更に効率的に実現・推進するため、平成17年後半より私共「沖縄県難聴福祉を考える会」(特定非営利活動ーNPOー法人・17市町村に支部を持ち、会員約4千名)は「高齢難聴者の早期発見・早期対応」を提唱、即ち住民検診に「六十五才以上の毎年の聴力検査」を組み込むよう行政などに働き掛けているが、地方財政との関連か、未だ県内では取組む市町村がないので、私共NPO法人の附属診療所「補聴相談のひろば」が診療の合間を縫って出張診療として事前に保健所に届出て、「講話と全員の聴力検査」を希望するミニデーサービス、老人クラブ、自治会などで実施、すでに約八十ヶ所に及んでいるが、非常に好評で、難聴や疾患などの可能性のある方々の地域でのフォローシステムも構築されつつあることは誠に喜ばしい。

 このように「適合補聴器」が得られる時代となったとは云え、これにて若い時に戻るわけではなく、特に五メートル以上離れると良く聴えない。従って、講演会などに参加出来ないが、集団補聴装置の磁気ループなどが会場に設置されていると、補聴器の通常補聴の「M」を「T」に切り換えると、マイクの声が直接補聴器に入ってきて、雑音もなく、ハッキリと聴えるように出来る。欧米先進国では、これが人の集まる所(集会場、講演会場、劇場など)、また役所や病院などの窓口に設置されているので、社会参加と共に一人で物事を処理出来る。前述の如く、国民の十人に一人が難聴の我が国では、このような集団補聴装置の社会整備が重要である。

 高齢難聴者の増加とその対応が、閉じこもり、認知症、寝たきりに関わる大きな社会問題であることが、未だ我が国では気付かれてはいないが、我が沖縄県では関心を持つ地域が徐々に増え、その具体的対応がなされる地域が徐々に増えて来ていることは、実に喜ばしいことで、これにより問題となっている老人介護費・医療費が徐々に減少してくる地域が出て来ることが期待される昨今である。


  • カテゴリー: 論壇
  • 投稿日:2007年8月15日 水曜日

聴くことをあきらめないで

2007年8月2日 木曜日

 高齢社会となり、難聴高齢者が増加している。早いか遅いか個人差があるが、誰にでも起こる。七十才以上で約半数が補聴器を必要とする程になり、高齢化率より当県で約十万人、全国で約一千万人と、如何に多いか分かろう。

 年齢が進み、聴えに不自由し出すと、自分はもう年だからとあきらめ、社会・家族から孤立して行く人をよく見かける。その結果、寝たきり・認知症に繋がってしまう人もある。確かに年と共に体力が衰え、目や耳などの機能が若い時のように行かなくなると、先行きに不安を感じ出すのも事実である。

 しかし、眼鏡や補聴器など、以前には何も使わないで良かった人には多少抵抗感あるが、これらにより見え、聴えるようになると、以前程ではないにしても、これで、生きて行けると自信が出てくるのも事実である。

 従って、聴えに不自由を感じ出した時に、簡単にあきらめないで、補聴器をうまく使いこなす努力を、前向きに行い、社会・家族とのコミュニケーションを良好にし、人生を継続・発展させて行ってほしい」。

 よく、眼鏡と補聴器が引き合いに出されるが、眼鏡は目のレンズの屈折異常を矯正するものであるから、光学器械で測定出来、どう矯正するかも器械的に出来るが、補聴器は目で云うと網膜に当る内耳の音を受け取る聴覚細胞の障害を補うものなので、熟練した聴力検査師が内耳の障害をどの高さを受け取る細胞がどのくらい障害されているかだけでなく、更に音の”ひずみ(音の大きくなり方やにごり方などが変ってくる)”具合がどうか検査し、補聴器を適合・調整して行かねばならない(目のレンズに当る鼓膜は治療が可能)。

 この補聴器適合・調整に、難聴者自身が良く聴きたいとの意欲があると、うまく行く。どのように聴きたいのか、どんな不満・不足があるのか、何が障害になっているかなどを訴え・表現してもらうと、その適合・調整はうまく行く。

 しかし、補聴器は器械であり、当然その限界もある。補聴器をつけたからと云ってすぐ若い時に戻るわけではなく、音のひずみ方が強い時には、言葉の聴き分け(語音明瞭度)が悪くなる人も多い。しかし、当人に聴きたいと云う意欲と周囲の分らせたいと云う心遣い(一~二メートルぐらいの所で、相手の目を見てハッキリ・ユックリ、話している口を見せて話してあげる)があれば、可成り語音明瞭度が悪くても、コミュニケーションに支障はなく、このようにして聴きとり方が訓練され若い時に近ずき、ほぼ普通に聴えるようになる。補聴器で殆ど言葉が分からなくなった時には、人工内耳で殆どの人が電話で話が可能となるが、この時にも聴こうと云う意欲があれば、人工内耳による音とのすり合わせもうまく行き、良く使いこなせるようになる(ドイツでは、九十才でも人工内耳を埋め込み、人生を享受させている)。

 このように、聴えなくなることのない時代になっているので、簡単に聴くことをあきらめ、人生をあきらめないでほしい。


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  • 投稿日:2007年8月2日 木曜日
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