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適合補聴器 普及もっと ー社会の適切対応が必要だー

2008年11月27日 木曜日

 高齢化が進み、難聴高齢者の増加が著しい。従来、難聴者は人口の4%といわれてきたが、難聴高齢者(70歳以上で約半数が補聴器を必要とする老人性難聴)は、高齢化率が20%を越えたわが国では、その半数、すなわち人口の10%を超える状況となり、千数百万人といかに膨大となっているかが分かろう。

 これら難聴高齢者に適切に対応しないと、コミュニケーション障害より、家族・社会より孤立・遊離し、精神的生き物である人間は人間として生きていく自信を失い、年齢も年齢だからと人生を諦め、閉じ込もり、寝たきり、認知症へとつながって行く可能性が高くなり、人間として生きていけなくなる。このように、非常に不幸な状況に追い込まれていくと同時に、非常に膨大な数の人々に生じてくるので、社会的にみると老人医療費・介護費の増加につながり、ひいては増税へ、国債、県民債、市町村債の増加へとつながろう。

 難聴対策として補聴器があるが、補聴器の評判は相変わらず悪く、必要な人の5~10人に一人(わが県では10人~20人に一人)しか使われて居らず、ほとんどの難聴高齢者は聴こえないままでいるので、ご本人が気の毒であるばかりでなく、社会的にみれば前述のごとくで、日本社会全体が北海道某市の状況になる日も、そう遠くないと思われる昨今である。

 このように難聴高齢者が膨大な数になり、人間として生きていけなくなっているのに日本の社会にほとんど関心が持たれないのは、視覚障害者や肢体不自由者のように目に見えないからであろう。確かに難聴になるとコミュニケーション障害のため人と話しをしなくなる。話しかけられると困るので、人前に出なくなる。そして、閉じ込もり、寝たきりにつながっていく。現在健聴と思っている人たちも、いずれこのような状況に追い込まれてゆこう。

 しかし、これに適切に対応することは可能となってきている。まず老人性難聴は近年耳の養っている血管の動脈硬化であることが分かり、予防も進行防止も可能となってきている。これに加え薬事法改正(平成17年4月)や補聴器相談医の制度化(平成18年4月)など、適合補聴器が得られる時代となってきている。

 従って、聴こえに不自由し出しても、すぐ適切に対応すれば、レーガン氏やクリントン氏などのように、人生をそのまま継続・発展させられ、コミュニケーション良好で、家族・社会と仲良く付き合っていけ、正確な情報により、自分の人生をその時代にマッチするよう設計し直し、亡くなる直前まで自立し、人生をエンジョイし、人生を全うすることができよう。

 高齢難聴者が増加したとしても、このように適切に対応できる社会になれば前述のようにはならず、むしろ減税、国債などの減量につながり、次代を背負う若者が明るい未来に夢を描ける社会となろう。

 このため、難聴高齢者問題を直視し、その適切な対応に国全体がまい進する必要がある。

 ※ 平成19年5月25日(金) 沖縄タイムス 「論壇」 投稿掲載


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  • 投稿日:2008年11月27日 木曜日

聴覚障害者へ正しい理解を ー障害内容理解した手助け望むー

2008年11月4日 火曜日

 聴覚障害者=「手話」と、マスコミ(テレビ)も手話を取り入れた番組を多く流すようになり、手話ボランティアも増え、聴覚障害者への関心が高まってきたことは大変結構なことで、非常にありがたいことである。

 しかし、手話で聴覚障害者のほとんどが不自由なく、満足していると考えられているとすると、大変な間違いである。

 手話対象者は、先天性の耳の聞こえない人を中心に全国で十二~三万人。当県では1965年の先天性風疹(ふうしん)症候群の耳の聞こえない人(風疹児)約400人を入れても1500~1600人である。

 一方、先天性ではなく、普通に聞こえていて言葉を習得した後に、何らかの原因で途中から聞こえが悪くなった人たち(中途失聴者)は、人口の約4%前後。従って全国で4~5百万人。当県では4~5万人と推定される。

 この中途失聴者のうち、手話を理解できる方はごくわずかで、恐らく1%にも達しないであろう。従って、テレビの手話番組 も、聴覚障害者の大部分にはほとんど役立っていない。

 聴覚障害者の大部分、すなわち中途失聴者には、よく適合した補聴器が必要で、これによりテレビや電話や講演会(磁気ループ使用)などでよく聞けるように調整・指導していく必要があり、特に聞こえが悪くなり始めた時に、よく適合した補聴器を通して聞くことに早く慣れ、それにより人生を展開、発展させていくと良い。早くから補聴器を付けると聞こえが悪くなるというのは、合わない補聴器を使うからで、それだからと聞かないでいると、聞かなくてよい生活・人生になってしまう。

 人によっては、難聴が増強して補聴器では十分理解できなくなることもあるが、このような人は恐らく聴覚障害者の10%前後で、この人たちには「要約筆記ボランティア」の手助けが有用で、手話は本人がすでに習得していたり、本人が習おうとしないと役立たない。

 いよいよ補聴器で言葉が分からなくなった時には、「人工内耳」でかなりの人が音を取り戻せるようになるが、このような人たちには「読話(読唇)」が必要である。先天性の耳の聞こえない人にも人工内耳を適用できるが、すべてにではなく、また希望しない人もあるので、手話はやはり重要である。先天性の耳の聞こえない幼児で人工内耳により音を聞く方を選択すると、「口話」が必要で、沖縄ろう学校の、特に就学前教育では、口話を主体として、手話を使わないようお願いしている。

 このように、聴覚障害者といっても、その人その人の聴覚障害の内容によって、その対応、望まれるものが異なるわけで、その人その人に合った方法で対応してあげないとすると全く意味がなく、現状では聴覚障害者のごく一部のみへの対応でしかなく、大部分が放置されているように思う。

 聴覚障害者を一人ひとりよく理解し、その人のためになるような手助けができるバランスのとれた福祉行政、マスコミサービス、ボランティア活動であってほしいと思う。

※平成6年11月27日(日) 琉球新報「論壇」投稿 掲載


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  • 投稿日:2008年11月4日 火曜日
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