■ 月別アーカイブ: 12月 2008

増える難聴高齢者 -地域全体の取組み必要ー

2008年12月15日 月曜日

 難聴対応として、手話と筆談・要約筆記はよく知られており、各市町村の社会福祉協議会などを中心にボランティアなども多く、十分対応され、市町村役所も福祉関係者も、難聴対策はこれで十分果たされていると思われているようである。

 確かに高度難聴者の場合、補聴器では言葉が理解できず、人工内耳を装用できない人には、手話や筆談・要約筆記は必要不可欠であるが、このような高度難聴者すなわち聴覚障害による身体障害者二級は、全国で約十万人で(当県では先天性風疹症候群聾を入れても二千人弱)、このうち後天性高度難聴者は口話を習得しているので、人工内耳装用で通常生活が可能となるし、先天性高度難聴者でも生後8歳ぐらいまでに人工内耳を装用すれば(4歳までに行なうと、とても良好)、通常の会話に支障なくなるようになる。近年、わが国でも人工内耳装用者が増え、健聴人との会話や生活に支障を来たさない人たちが増えているのは、とても喜ばしいことである。

 一方高齢社会が進行、高齢難聴者の増加が著しい。70歳以上で約半数が補聴器を必要とするほどになるので、高齢化率が20%を超えたわが国では、高齢者の約半数が難聴なのでその数は全国で1千万人、当県で10万人を超える状況にあり、これらの人たちへの対応として補聴器が重要である。

 しかし、わが国では補聴器は不評であまり使われていない。すなわち全国で難聴者の5~10人に一人、当県では10~20人に一人(当県某市にて実証)しか補聴器は使われていない。

 年を取って、難聴となり(高齢者の二人に一人)、補聴器を使えないと、聞こえないままでいるので、家族・社会とのコミュニケーション障害を生じ、精神的な動物である人間は、もう一人前の人間として生きていけないと自信を失い、年齢も年齢だからと人生をあきらめ、閉じこもり、寝たきり、認知症など人間として生きていけなくなる可能性が高くなる。

 前述のごとき膨大な数の難聴高齢者の80~90%(当県では90~95%)が、人間として生きていけない状況になりつつあることを、国民全員が認識し、国、地域社会全体で対応しないと、当人がかわいそうであるだけでなく、老人医療費、介護費の高騰、増税、国債・県市町村債の増加にならざるを得ず、近い将来日本全体が北海道某市のようになろう。

 難聴高齢者の早期発見(住民検診への聴力検査の組み込み)と早期対応(本人、家族だけでなく、難聴とは無縁と思っている社会全体が対応する必要があり)で、人生そのまま継続・発展でき、コミュニケーション良好で家族・社会と仲良く付き合っていけ、正確な情報が得られるのでその時代にマッチした人生を模索、亡くなる直前まで自立、人生をエンジョイ、ほとんどが人間としての人生をまっとうできれば、老人医療費、介護費、増税、国債などが改善、明るい未来に夢を描ける社会となろう。

 ※平成19年7月26日(木) 沖縄タイムス「論壇」投稿 掲載


  • カテゴリー: 論壇
  • 投稿日:2008年12月15日 月曜日

聴覚障害者が堂々と -社会はいたわりの気持ちをー

2008年12月4日 木曜日

 聴覚障害者は目立たない。いや、目立たないようにしている。自分の聴力が悪いと、他人に悟られるのを恐れているからだ。

 従って、聴力が悪くなってきても、補聴器をつけたがらない。つけていると難聴者扱いされ、人とのつき合いでも、仕事の上でもハンディを背負わされてしまうからだ。

 聴力が悪くなり、補聴器をつけていないと、他人の言っていることが良く理解できないから、あいまいな返事をする。そのうちに、そういう機会をだんだん避けるようになり、社会や家族と没交渉の、聞かなくてよい生活になっていってしまう。

 このように、悪い方向へと転回して、よそめには静かな、穏やかな人生に見えるし、それを楽しんでいる人もいるかもしれないが、生活の活性が下がり、老化がボケが進行していっているように思われる状況を多くみる。

 これはもちろん、本人に問題があることは事実だが、社会にも大いに責任があるのではないか。

 現在の日本の社会が聴覚障害者を前述のようになる方向へ追いつめているのではないか、と考えられることがある。

 幸い、日本の社会にもだいぶゆとりができて、先の阪神大震災の一般の人々のボランティア活動で注目されたように、いろいろなボランティア活動が育ってきている。

 このような助け合いの気持ちを社会が持てるようになり、人口の約4%前後、従って全国で4~5百万人、当県で4~5万人と推定される聴覚不自由者にも、いたわりの気持ちを持って接するようになる社会になってほしいと思う。

 高齢化社会の到来により、聴覚障害者も増加している。50~60歳代ごろから身体のところどころに故障を生じることが多くなるように、耳も例外ではなく、聴覚に障害をきたす人が増えてくる。これはだれにでも起こり得るのである。

 これらの人々を、社会から除外しないでほしい。否、これらの人々も社会の構成員の一人であるので、同じ構成員として受け入れるべきで、その生活・活動に支障をきたさないように、いたわり、助け合っていってほしい。現状では聴覚障害者の、日本国憲法に保障された人権が守られていないのではないか、と思うことがある。

 聴覚障害者が、自分は耳が不自由であることを堂々と言える社会、そしてその人たちを差別せず、「ゆっくり」「はっきり」「わかりやすく」話してあげる、いたわりのある社会になってほしいと思う。

 福祉政策が重視され、聴覚障害者への補聴器供給態勢も徐々に醸成されつつあることは喜ばしい。

 しかし、物を与えれば福祉は完了と、弱者へ物をめぐんでやるような従来型の「福祉」が、まだ大手を振っているような状況も、なお目につくことがある。社会における同じ構成員同士のいたわり合い、人権の尊重が成り立っていないからだと思われる。

 聴覚障害者の補聴器適合運動を始めて約2年。

 われわれ社会のこれらの人々に対する対応が気になる昨今である。

 ※平成7年4月24日(月) 沖縄タイムス「論壇」投稿 掲載


  • カテゴリー: 論壇
  • 投稿日:2008年12月4日 木曜日
最近の投稿
アーカイブ
カテゴリー