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効果的な適合補聴器 ー正確な情報で老後も自立ー

2009年1月19日 月曜日

 三月三日は「耳の日」である。

 これが制定された50数年前頃に多かった中耳炎は、国民の栄養・衛生の改善によりほとんどなくなり、その後の小児期の抵抗力や耳構造の相違(大人に比べると、中耳腔ー鼓膜の中の部屋・中耳炎はここの炎症ーと鼻・のどをつないでいる管が短い、太い、角度が異なる)などによる滲出性中耳炎(鼓膜の中に滲出液がたまる)も成長とともに治癒・正常化するのがほとんどで、問題なくなっている。

 先天性聾や高度難聴も人工内耳や補聴器などにより、人間本来の言葉によるコミュニケーションが十分に可能となり、手話など聴こえ以外の方法に頼らなくて済む人が多くなる時代となっている。

 従って、近年の問題は高齢化社会の高齢者の難聴、すなわち「老人性難聴」の増加である。しかし、これは内耳(音を感ずる細胞のあるところ)の血管の動脈硬化であることが判明、予防も進行防止も可能となっている。音を感ずる細胞の障害による音の歪(ひずみ)や、その程度も測定でき、改善させられるようになり、音の歪みによる言葉の理解力の障害(音は聴こえても言葉がわからないのが老人性難聴の特徴)も改善可能となってきている。

 しかし、すでに難聴となった高齢者は、70歳以上で約半数もいるので、高齢化率が20%を超えたわが国では1千万人を越える。そして、補聴器不評のため、これら高齢難聴者の10ー20人に1人しか使っていないので、ほとんどが難聴のままでいることになる。

 年齢が進んで、聴こえないままでいると、コミュニケーション障害を起こし、家族・社会より孤立・遊離し、精神的動物である人間は生きて行く自信を失い、閉じ込もり、寝たきり、そして認知症につながる可能性が高くなる。これが、前述の如く国民の10%に起こる可能性があり、大きな社会問題になるべきなのに日本の社会はいまだ、これに気付いていない。

 一人一人聴こえ方が異なるのそれを正確に測定し、それに補聴器を適合・調整すると、静かに言葉が分かるようにできる。

 これができなかったのは、補聴器適合システムが確立していなかったためである。2005(平成17)年4月の「薬事法改正」(厚生労働省・補聴器の販売規制、補聴器適合の義務・責任、広告規制など)、2006(平成18)年4月の「補聴器相談医制度」の制度化(日本耳鼻咽喉科学会)、さらに2004(平成16)年11月の「特定商取引に関する法律等の改正」(経済産業省・訪問販売などのクーリングフ法)などにより、適合補聴器が得られるようになってきたのに、難聴者も、一般市民も誰も知らないので、これが生かされる状況にはなっていない。

 このように、現在は適合補聴器が得られるので、聴こえが悪くなってもすぐ対応できる。コミュニケーション良好で家族・社会と仲良く付き合って行き、正確な情報を得て人生を自分の思い通りに設計、死の直前まで自立し、人間らしく人生をエンジョイしてほしいものである。

  ※平成19年3月3日(土)  沖縄タイムス 「論壇」投稿 掲載


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  • 投稿日:2009年1月19日 月曜日

聴覚障害者へのいたわりを -相談センター2年を通してー

2009年1月6日 火曜日

 一昨年六月に「沖縄補聴相談センター」を開設して二年が経過した。

 補聴器適合は、一回では終わらない。初回の適合はあくまでも出発点で、一人ひとりの生活音・環境音や、一人ひとりの聴こえのひずみ(にごり)具合が異なるので、数回調整しなければならない人もいる。また当初は感覚を中心にして、なれてきてから段々と理論値にしていった方が良い人もある。その後も、半年か一年に一度は聴こえと補聴器をチェックするように指導している。従って、今や相談者は再来者の方が三~四人に新来者が一人といった割合で多くなってきているが、この二年間で新来者のみで千人を超えたということは、このセンターが聴覚障害者にいかに必要とされてきているかを痛感させられている。

 さて、この二年間の当センターのいろいろな対外活動(�地域社会への出張相談ー常設または定期的相談を行うところも出てきている�老人ホームでの相談�在宅出張相談ー地域社会で常設されてきているところでは、民生委員や地域コーディネーターの協力により、多用されてきているー、また�”だれにでもわかる”「補聴器の取り扱い方法」の教育ビデオ作成-NHK厚生文化事業団「わかば基金」によるー とそのビデオの各地域老人クラブなどへの無料配布、など)を通して感ずることは、われわれ社会のこれら聴覚障害者への対応状況である。大部分の人は意識はしていないが、聴覚障害者を差別し、社会から抹殺してしまっていると思えるような現実である。家族でさえも、聴こえないのだからとか、補聴器を与えたのだからとかで、良く話し合い、わかり合うことをしていないのをよく目にする。あまりよくわからないから、ついついイライラして怒鳴ってしまうというが、もし足などが悪くてよろめいたりしたら自然に手を差しのべるように、はっきり、ゆっくりわかりやすいように話してあげてほしいものである。

 従って、聴覚障害者は自分が聴こえが悪いこと、悪くなりつつあることを、世間に悟られまいとする。悟られると人との付き合いの上でも、仕事の上でもハンディを背負わされてしまうからである。

 逆に、悟られまいと振る舞うので、世間一般の人は、聴こえの悪いこと、それによりどのような困難があるかが、他の心身障害者のようにはわからないのも事実である。従って、聴覚障害者への理解がなく、聴覚障害者の福祉が一番遅れているといわれるような状況になってしまっているのもこのためである。

 この悪循環をどこで断ち切り、どのように改善していったら良いのか。

 高齢化社会は、確実に進行している。年齢の進行とともに、聴覚障害者は確実に増えていっている。これはだれにでも起こり得ることなのである。明日はわが身かも、そしてその時、われわれ社会は、家族はどう対応してくれるのだろうか。心もとなく感じているのは、私だけだろうか。

※平成7年 6月13日(火) 琉球新報「論壇」投稿 掲載
当会「特定非営利活動(NPO)法人沖縄県難聴福祉を考える会」の前身である「沖縄補聴相談センター」が
平成5年6月に那覇市安里に 設立され、2周年が経過した際の投稿掲載文です。


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