■ 月別アーカイブ: 5月 2009

高齢難聴者は適合補聴器を -人間らしく生きるためにー

2009年5月15日 金曜日

 高齢社会が進行、高齢難聴者が増え続けている。70歳以上で約半数が補聴器を必要とするようになるという。高齢化率がほぼ20%に近づいたわが国では10人に2人が高齢者。その半分、すなわち10人に1人が難聴ということになり、いかに多いかがわかろう。

 一人一人異なる聴え方に補聴器を適合・調整する制度がなかったわが国では、補聴器の規制がないまま乱売された結果、補聴器不信・補聴器不使用者が増え、聴えないままでいる人が高齢難聴者の90~95%以上といわれている。コミュニケーション障害が原因で、家族・社会から孤立し、閉じ込もり、寝たきり、認知症などにつながっているが、このことに気付いている人がわが国にはほとんどいない。

 昨年4月に薬事法が改正され、補聴器は管理医療機器に規定され、販売規制が始まり、販売業者に補聴器の適合義務・責任が生じてきて、適合補聴器が得られる時代になっているが、このことを知っている人はほとんどいない。これを周知させる啓蒙活動が重要である。

 この法改正に呼応し、日本耳鼻咽喉科学会が「補聴器は医師の診断のもとに購入すべき」と「補聴器相談医」を学会認定で制度化し、補聴器適合診断(ドイツでは医師が処方するだけでなく、適合具合を確認しないと売買できない)とともに、難聴を改善し得る疾患の発見・治療が可能となり、身体障害者の認定、医療費控除のための診断書作成など、医学判定下の補聴器適合の重要性も認識されてきている。

 このように、適合補聴器が得られる時代になっているが、難聴が進んでから補聴器を適合しても、なかなか使いこなせないのが現状である。聴えが悪くなってきたことで、人生は終りに近づいたと思い、補聴器を活用して元の生活に戻ろう、または何かをしようという気にならない人がほとんどなのである。

 一方、聴えが衰え出したとき、特に仕事や社会活動をしていると、それを継続するため、補聴器をあっという間に使いこなしてしまう人もいる。そうなれば、その人は人生を継続、いや発展させることになり、恐らく亡くなる直前まで、自分の思い通りの人生を生き抜き、認知症、寝たきりなどとは無縁の人生となろう。

 約10年前、医師会を中心に、沖縄の「長寿世界一宣言」のイベントが企画されたことを記憶している人は多いと思うが、「沖縄は確かに長寿だが、認知症・寝たきりが多く、人間として生きていない」とクレームがつき、宣言できなかったのは残念なことであった。

 人間は精神的な生き物なので、難聴となり、これが補完されず難聴のままでいると、コミュニケーション障害から、精神面が満足されず人間として生きていく自信を失い、人間性が保てなくなってしまう可能性が高いことを知り、適切な対応をすべき時に来ている。

   ※2006年(平成18年)4月13日(木)琉球新報 「論壇」へ 投稿掲載文です。  


  • カテゴリー: 論壇
  • 投稿日:2009年5月15日 金曜日

聴覚障害者の人権を考えるー気になる差別の問題ー

2009年5月1日 金曜日

 補聴器適合運動を始めて2年半、マスメディアの協力も得て、一人ひとりの聴え方の違いに合わせて補聴器を適合・調整していかなければならないことが、県民に広く認識されてきていることは、大変喜ばしいことである。

 この間、沖縄補聴相談センターで1千人を超える聴覚障害者の相談に対応し、琉大耳鼻科グループ(琉大病院、沖縄赤十字病院、浦添総合病院、豊見城中央病院の各耳鼻咽喉科補聴器適合外来)全体で、計2千人を超す聴覚障害者に接して感じることは、聴覚障害者の基本的人権が守られていないのではないかと思われることによく遭遇する。

 聴こえが悪くなり出して補聴器を勧めると、多くの人がまず着けたがらない、また着けてもなるだけ目立たないようにしようとする。これは世間一般の人に、自分は聴こえが悪いことを知られたくないためで、聴こえが悪いと分かると、人との付き合いの上でも、特に仕事の面で差別され、排除されてしまうからである。

 家族でさえも、もう聴こえないのだからと、一人の人間としての扱いをしていないような人たちをよく見掛ける。

 先日、ある相談者が、自分の仕事のための職能訓練に参加しようとして、電話で自分は聴こえが少し悪いので、前方に席をとってもらえるか否か問い合わせたところ、即座に「そのような人は対象にしていません」と、電話を切られてしまった由。これなど差別以外の何物でもない。聴覚障害者は何か悪いことでもして、そうなったというのだろうか。

 ほかの視覚や肢体などの障害者の場合に、このような扱いは恐らく受けないであろう。否、現在の日本の社会では、これらの障害者を手助けし、本人の希望を可能にするよう配慮し、努力するようになってきているのに、聴覚障害者に限り全く逆で、差別し、排除しようとするのは実におかしいと思う。

 これには、聴覚障害者の側にも問題がある。世間が差別するからと隠し、聴こえないからとあきらめてしまわないで、自分が聴こえが悪いこと、そしてどのような対応をしてほしいかを世間一般の人に分かるように主張しないと、世間一般の人はどのように理解し、手助けしてよいか分からないのも事実である。

 聴覚障害者は人口の約4%、従って当県で4~5万人、全国で4~5百万人と推定され、これらの人々の、日本国憲法に保障されている基本的人権が守られていないとすると、これは大問題ではないかと考える昨今である。

 聴覚障害者の方々には、勇気を出していただき、自分が聴覚に障害があることを隠さず、必要なことをどんどん主張していただきたいと思うし、一般の方々にはほかの障害者に対するときと同じ気持ちで、聴覚障害者の立場をよく理解し、要望を満たしてあげるように心掛け、努力し、勇気づけてあげていただきたいと思う。

 そして、双方が同じ社会の構成員として同等の立場で理解し合い、協力し合える、実りある社会になってほしいと思う。
  ※1995年(平成7年)8月30日 沖縄タイムス 『論壇』へ投稿 掲載の文です。


  • カテゴリー: 論壇
  • 投稿日:2009年5月1日 金曜日
最近の投稿
アーカイブ
カテゴリー