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難聴者、特に高齢難聴者のバリアフリー達成の重要性!

2009年6月16日 火曜日

 高齢社会に入り、高齢難聴者が増えている。七十歳を越すと約半数が補聴器を必要とする程に聴力が衰えてくるので、高齢化率が二十%を越した我が国では、全国で約一千万人、当県で約十万人と、国民の十人に一人は高齢難聴者と云うことになって来ている。

 そんなに多いのかと思われる方も多いと思うが、それは難聴者が他の障害者(例えば肢体不自由者、視覚障害者など)のように、目に見えないからで、また難聴になると会話などが不自由となり、人と話しをしなくなり、人と会わなくなり、人前から消えて行ってしまうからである。

 しかし、このように人前から消えて行くのは、社会・家族が難聴者にバリアーを形成しているからとも云える。

 確かに難聴の人との会話は、繰り返し話さないとならない、大きな声で話さないとならないから、段々とその難聴者とは話したくなくなり、それが難聴者にとってはバリアーとなっていることも事実で、家族の団欒でも、”おじいちゃんはどうせ聴こえないから”と一緒にいながらはずされてバリアーが出来てしまっていることも多い。

 このように高齢難聴者にバリアーをつくり、社会・家族から除外して行くと(特に若い方は自分が高齢になり、除外されたことを考えてみてほしい!)、殆どの人が生きて行く自信・意欲を失い、特に人間は精神的動物なので、閉じこもり、寝たきり、認知症などに追い込んで行くことになり、これは人権問題でもある。

 難聴とわかったら(二、三会話するとすぐわかる)、補聴器をつけていても、つけてなくても、なるたけ真正面から、口唇を見えるようにし、ハッキリ、ユックリ、相手が聴こうと云う気持ちになるように、やさしく、おだやかに話すと良い。大声で怒鳴ると、かえってわかりにくいし、おこられているようで聴こうとする気持ちがなくなる。

 このように、難聴者、特に高齢難聴者を一人の人間として尊重し、社会の輪の中に、家族の輪の中に入れて行くようにする社会にする必要がある。

 現状は、膨大な数の高齢難聴者にバリアーをつくって寝たきり・認知症などに追いやり、これを介護する人の問題(外国から導入する!?)、その費用(増税!?)だけが問題となっているが、その原因な一般市民・国民が造り出していることに気付くべきである。


  • カテゴリー: 論壇
  • 投稿日:2009年6月16日 火曜日

充実した高齢社会を -補聴器活用で積極人生ー

2009年6月1日 月曜日

 高齢化社会に突入して、長生きの秘けつがいろいろと言われる。

 沖縄県の長寿は非常に有名で、先般「世界一長寿」宣言をし得たことはご同慶にたえない。しかし、陰の部分もあり、関係者の間では問題となっている。すなわち「寝たきり」「痴呆(ちほう)」が多いという。そして、これには難聴によるコミュニケーション障害が、大きく関与しているのではないだろうか。

 年令が進むにつれて聞こえが不自由になってくる人が増えてきている。70歳代には約半数の人が、そして90歳代になるとほとんどの人が、補聴器を必要とするほどに聞こえが低下してくる。これは、年とともに体の所々が障害を起こしてくるように、個人差だけで、遅かれ早かれだれにでも起こり得ると言える。

 ところが、補聴器に信用がない。「補聴器はガアガアうるさいばかりで、頭が痛くなり、言葉が分からないから、いらない」と言うのが一般的な評判で、横社会の当県では、この評判がお年寄りの間で定着してしまっていることは非常に困ったことである。

 聞こえが悪くなり出したときに、補聴器を活用しないで、聞こえないままでいると、だんだんと社会・家族から孤立・遊離していってしまうことになり、社会的にも大きな損失である。

 老人ホームなどで聴覚、補聴相談を行っていると、「この補聴器はよく聞こえるが、いらない」と言う人によく出会う。そして、その人の生活状況をみると、もはや聞く必要のない人生・生活になっており、この人が聞こえが悪くなり始めたときに、よく適合した補聴器に巡り合い、それにより人生・生活を再構築していたら、別の人生になっていたのではと残念に思うことが多い。

 従って、ある程度年齢が進んで、聞こえに自分が、または周囲が不自由になってきたら、よく適合する補聴器を模索して、それに慣れ、それを通して、社会とのかかわり方、周囲の人々とのかかわり方など、人生・生活を積極的に再構築しようとしないとすれば、その後の20~40年の人生を充実して生きていけないのではないか。

 その結果、前述のようなことになるとすると、この問題はこれからの高齢化社会に、単に身体の健康の問題ということだけでなく、心の健康の問題としても考えておかなければならない、非常に重要な事柄と思われる。

 特に家族を中心に、周囲の人々が気遣い、コミュニケーションに支障を来しだしたら、早めに対応し、その人の聞こえに合わせた、よく適合した補聴器を模索してあげる必要がある。

 単に補聴器を与えればよいと、本人抜きで、従って聞こえの測定もせず、ただ買って与えるー。まだ、このような家族を時々見掛ける。だから補聴器を信用しなくなる。このようなことのないようになってほしいものである。

 聞こえの不自由になった方は当然のこと、その家族も、社会も、ともに充実感・満足感を持ち得る高齢化社会であってほしいと思う。

  ※1995年(平成7年)沖縄タイムスへ投稿 「論壇掲載」 の文です。


  • カテゴリー: 論壇
  • 投稿日:2009年6月1日 月曜日
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