補聴相談で感ずること ー遅れている聴覚障害者の福祉ー

2008年9月20日 土曜日

 聴覚障害者は、視覚障害者などと違って人目につかない。また、人目につかないように行動している。そのためか、聴覚障害者の福祉が他の障害者に比し大変遅れていると感ずるのは、私ども一部のものだけなのだろうか。

 人が話している言葉が理解できない、耳から入ってくる情報が得られないと言うことは、現代の情報社会にあって、人間性を問われる問題になりつつあると思う。

 昨年6月からボランティア活動として沖縄補聴相談センターを開設し、浦添市社会福祉協議会への定期的出張相談、老人ホームや沖縄市、名帰仁村への出張相談、あるは在宅相談などを通じて気が付いたことの一つに、聴覚障害者の中に「この補聴器は良く聴こえるが、いらない」と言う人がかなり存在することである。

 国が定めた基準以上にー平均70デシベル以上ー聴こえが悪くなると、「聴覚障害による身体障害者」に認定され、補聴器が支給される。地域によっては、補聴器を使用した方がよいと医学的に判定されると(一般的に平均50デシベル前後より)、地方自治体が補聴器の支給や補助金を出す。東京の武蔵野市では両耳で14万円近くまで補助するという。

 「自分はもう年寄りだから、補聴器はいらない」などと言う人たちの表情、生活状態をみると、そううなずける状況になっているのは事実だが、生きている人間として、これで良いのだろうか。

 この人たちが聴こえが悪くなり始めたころに、良く適合した補聴器が得られて、補聴器を通して生活、人生を展開するようになっていたら、恐らく別の人生を歩んだのではないだろうか。

 この人たちは聴えが悪くなったため、聴かなくても良い生活環境をつくってしまい、もはや聴く必要がなくなったわけで、その人たちの人生は、それだけ狭まってしまっているのではないか。

 「早くから補聴器をつけると、耳が悪くなる」と聞かされている人が多く、補聴器を勧めると拒否する人も多い。確かに適合していない補聴器を、しかも音を大きくして聴こうとすれば、当然耳に障害を起こし得る。

 しかし、適合した補聴器を適正な指導下に使用すれば、そのような心配は全くない。否、むしろ逆で、確かに補聴器を通して聴くと、それまでとは少し異なるのも事実だが、早く補聴器をつけて新しい状況に慣れて、それを通して人生を展開、発展するようにした方が人生が充実されよう。

 長寿県沖縄と言っても、ただ生きているだけで、人間性が保たれていないと、補聴器をいらないとういう聴覚障害者に応対していると、よく考えさせられてしまう。

 年を取るとともに聴器に障害が起こる率が高くなり、難聴になる確率は高くなる。今後このような人たちを出さないようにしなくてはと、考えさせられる昨今である。

  ※平成6年10月26日(水)沖縄タイムス「論壇」投稿掲載


  • カテゴリー: 論壇
  • 投稿日:2008年9月20日 土曜日

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