敬老の日を前にー補聴器は適合させて贈ろうー

2009年10月1日 木曜日

 「敬老の日」が近づき、お年寄りへのいろいろなサービスや提言などの中に「補聴器」のプレゼントがいつも話題になる。

 平成5年の「敬老の日」には、当時の大内厚生大臣が高齢化社会へ向けて、「ゴールドプラン」の中に「補聴器を組み込むべき」と提言、そのための審議会が発足し、実施方法が検討されつつあることは喜ばしい。

 確かに、年齢の進行とともに身体の所々に故障を起こしてくる率が高くなり、耳も例外ではなく、聴覚障害に見舞われる人が増えてくる。

 そこで、これを補聴器で補ってあげてはと考えるのは当然のことで、家族が中心となって気遣ってあげてほしいものである。

 しかし、その方法を間違えると逆効果となることも、十分認識していただきたい。すなわち、聴こえ方は一人ひとり異なり、その人その人の聴こえ方に補聴器の周波数特性を適合させ、必要な場合には何回か微調整を行って、はじめてよく聴けるようになることを知っていただきたい。

 せっかく、子供や孫が、場合によっては東京や大阪、アメリカなどから買ってきてプレゼントしたのに、あまり喜ばれず、使われなかったという行き違いを経験された方も多いと思う。しかし、これは当然で、その人の聴こえ方に合わせてなければ、どんな高価な補聴器も役に立たず、与えられた当人にとっては迷惑千万で、無用の長物なのである。

 その結果、「補聴器はガアガアうるさいばかりで、頭が痛くなり、言葉も分からないから、要らない」と、補聴器への不信感を持つようになり、もう絶対に補聴器を使わないと決心してしまう人を多く見かける。

 そして、このことは、当人にとっては当然のこと、家族にとっても、社会にとっても多きな損失である。よく聴こえないためコミュニケーションがうまくとれなくなり、家族・社会から孤立・遊離していってしまうからである。

 老人ホームなどを訪ねると、このような人々を多く見かける。そして、補聴器を適合させ、よく聴こえるようにしてあげても、「この補聴器はよく聴こえるけれど、要らない」と言う人がほとんどである。その人たちの生活状況を見ると、もはや聴く必要のない人生になっている。この人たちが聴こえが悪くなり始めた時によく適合した補聴器が与えられ、それにより人生を再構築していたら、別の人生があったのではないかと残念に思うことが多い。

 従って、補聴器をプレゼントする気持ちは大切だが、その方法を間違えると、その人の人生を狂わせてしまう可能性があることも十分認識して戴きたい。

 現代人は忙しいからと いうこともあろうが、補聴器を選ぶ時の一定の手続きを踏まず、本人抜きで勝手に購入するような、贈る側の一方的な自己満足でしかないプレゼントの仕方を含め、特に「補聴器」についてはその贈り方を熟慮して、贈られる側にも、贈る側にも、本当に満足し、理解し合い、喜び合える、よい「敬老の日」を向かえてほしいものである。

  ※ 平成8年 9月15日(日) 沖縄タイムス「論壇」投稿 掲載の文です。


  • カテゴリー: 論壇
  • 投稿日:2009年10月1日 木曜日

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