充実した高齢社会を -補聴器活用で積極人生ー

2009年6月1日 月曜日

 高齢化社会に突入して、長生きの秘けつがいろいろと言われる。

 沖縄県の長寿は非常に有名で、先般「世界一長寿」宣言をし得たことはご同慶にたえない。しかし、陰の部分もあり、関係者の間では問題となっている。すなわち「寝たきり」「痴呆(ちほう)」が多いという。そして、これには難聴によるコミュニケーション障害が、大きく関与しているのではないだろうか。

 年令が進むにつれて聞こえが不自由になってくる人が増えてきている。70歳代には約半数の人が、そして90歳代になるとほとんどの人が、補聴器を必要とするほどに聞こえが低下してくる。これは、年とともに体の所々が障害を起こしてくるように、個人差だけで、遅かれ早かれだれにでも起こり得ると言える。

 ところが、補聴器に信用がない。「補聴器はガアガアうるさいばかりで、頭が痛くなり、言葉が分からないから、いらない」と言うのが一般的な評判で、横社会の当県では、この評判がお年寄りの間で定着してしまっていることは非常に困ったことである。

 聞こえが悪くなり出したときに、補聴器を活用しないで、聞こえないままでいると、だんだんと社会・家族から孤立・遊離していってしまうことになり、社会的にも大きな損失である。

 老人ホームなどで聴覚、補聴相談を行っていると、「この補聴器はよく聞こえるが、いらない」と言う人によく出会う。そして、その人の生活状況をみると、もはや聞く必要のない人生・生活になっており、この人が聞こえが悪くなり始めたときに、よく適合した補聴器に巡り合い、それにより人生・生活を再構築していたら、別の人生になっていたのではと残念に思うことが多い。

 従って、ある程度年齢が進んで、聞こえに自分が、または周囲が不自由になってきたら、よく適合する補聴器を模索して、それに慣れ、それを通して、社会とのかかわり方、周囲の人々とのかかわり方など、人生・生活を積極的に再構築しようとしないとすれば、その後の20~40年の人生を充実して生きていけないのではないか。

 その結果、前述のようなことになるとすると、この問題はこれからの高齢化社会に、単に身体の健康の問題ということだけでなく、心の健康の問題としても考えておかなければならない、非常に重要な事柄と思われる。

 特に家族を中心に、周囲の人々が気遣い、コミュニケーションに支障を来しだしたら、早めに対応し、その人の聞こえに合わせた、よく適合した補聴器を模索してあげる必要がある。

 単に補聴器を与えればよいと、本人抜きで、従って聞こえの測定もせず、ただ買って与えるー。まだ、このような家族を時々見掛ける。だから補聴器を信用しなくなる。このようなことのないようになってほしいものである。

 聞こえの不自由になった方は当然のこと、その家族も、社会も、ともに充実感・満足感を持ち得る高齢化社会であってほしいと思う。

  ※1995年(平成7年)沖縄タイムスへ投稿 「論壇掲載」 の文です。


  • カテゴリー: 論壇
  • 投稿日:2009年6月1日 月曜日

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