聴くことをあきらめないで

2007年8月2日 木曜日

 高齢社会となり、難聴高齢者が増加している。早いか遅いか個人差があるが、誰にでも起こる。七十才以上で約半数が補聴器を必要とする程になり、高齢化率より当県で約十万人、全国で約一千万人と、如何に多いか分かろう。

 年齢が進み、聴えに不自由し出すと、自分はもう年だからとあきらめ、社会・家族から孤立して行く人をよく見かける。その結果、寝たきり・認知症に繋がってしまう人もある。確かに年と共に体力が衰え、目や耳などの機能が若い時のように行かなくなると、先行きに不安を感じ出すのも事実である。

 しかし、眼鏡や補聴器など、以前には何も使わないで良かった人には多少抵抗感あるが、これらにより見え、聴えるようになると、以前程ではないにしても、これで、生きて行けると自信が出てくるのも事実である。

 従って、聴えに不自由を感じ出した時に、簡単にあきらめないで、補聴器をうまく使いこなす努力を、前向きに行い、社会・家族とのコミュニケーションを良好にし、人生を継続・発展させて行ってほしい」。

 よく、眼鏡と補聴器が引き合いに出されるが、眼鏡は目のレンズの屈折異常を矯正するものであるから、光学器械で測定出来、どう矯正するかも器械的に出来るが、補聴器は目で云うと網膜に当る内耳の音を受け取る聴覚細胞の障害を補うものなので、熟練した聴力検査師が内耳の障害をどの高さを受け取る細胞がどのくらい障害されているかだけでなく、更に音の”ひずみ(音の大きくなり方やにごり方などが変ってくる)”具合がどうか検査し、補聴器を適合・調整して行かねばならない(目のレンズに当る鼓膜は治療が可能)。

 この補聴器適合・調整に、難聴者自身が良く聴きたいとの意欲があると、うまく行く。どのように聴きたいのか、どんな不満・不足があるのか、何が障害になっているかなどを訴え・表現してもらうと、その適合・調整はうまく行く。

 しかし、補聴器は器械であり、当然その限界もある。補聴器をつけたからと云ってすぐ若い時に戻るわけではなく、音のひずみ方が強い時には、言葉の聴き分け(語音明瞭度)が悪くなる人も多い。しかし、当人に聴きたいと云う意欲と周囲の分らせたいと云う心遣い(一~二メートルぐらいの所で、相手の目を見てハッキリ・ユックリ、話している口を見せて話してあげる)があれば、可成り語音明瞭度が悪くても、コミュニケーションに支障はなく、このようにして聴きとり方が訓練され若い時に近ずき、ほぼ普通に聴えるようになる。補聴器で殆ど言葉が分からなくなった時には、人工内耳で殆どの人が電話で話が可能となるが、この時にも聴こうと云う意欲があれば、人工内耳による音とのすり合わせもうまく行き、良く使いこなせるようになる(ドイツでは、九十才でも人工内耳を埋め込み、人生を享受させている)。

 このように、聴えなくなることのない時代になっているので、簡単に聴くことをあきらめ、人生をあきらめないでほしい。


  • カテゴリー: 論壇
  • 投稿日:2007年8月2日 木曜日

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