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難聴対応としての手話・要約筆記などと補聴器 -対応対象が全々異なるー

2008年3月17日 月曜日

 難聴者への対応として、手話・要約筆記などは非常に有名で、テレビなどでは手話や字幕などが充分取り入れられ、福祉関連の対応を含め「聴覚障害者」対策はこれで充分なされていると思われている。

 確かにその対象者は聾・高度難聴者であり、全国に約10万人(厚生労働省統計)、当県は先天性風疹症候群聾約4百名を加え、千数百名存在し、その対応としての手話・要約筆記などは重要で、社会生活を営む上で不可欠なもので、健常社会の充分な対応が必要である。

 一方補聴器対応の「聴覚障害者」は、高齢社会の進行により、70才以上になると約半数が補聴器を必要とする程になるので、高齢化率が20%を越えた我国では国民の10人に2人が高齢者で、その約半数が難聴なので、全国で1千万人を、当県で10万人を越える膨大な数になって来ている。

 この膨大な数の軽度から高度「聴覚障害者」には補聴器と言うことになるが、補聴器の評判は非常に悪く、必要な人の5~10人に1人、当県では10~20人に1人(当県某市の実態調査で実証)と殆ど使われていない。

 年齢が進み聴えないままでいると、コミュニケーション不良となり、家族・社会より孤立・遊離し、精神的動物である人間は生きる意欲を失い、閉じ込もり、寝たきり・認知症に繋がって、人間として生きて行けなくなる。

 これを改善すべく、高齢の「聴覚障害者」の早期発見・早期対応を提唱している。いよいよ聴えが悪くなってから補聴器を装着しても、うまく使いこなせないし 、使う意欲がなくなっているからで、聴えなくなり人生に自信を失い、生きる意欲がなくなるからである。

 そこで、65才以上になったら毎年聴力検査を行う。いずれ住民検診に組み込むよう提案して居り、関心を持つ市町村が出て来ていることは喜ばしいことである。

 聴えが悪くなり出した時に、すぐ適合補聴器で対応すると、レーガン、クリントンのように(この両米大統領は大統領時代に補聴器を装着していた)、人生はそのまま継続・発展させられ、コミュニケーション良好で、家族・社会と仲良く付き合って行け、正確な情報が得られるのでその時代にマッチした人生を模索、亡くなる直前まで自立、人生をエンジョイし、人間としての人生を全うできる。

 このように、補聴器対応の高齢の「聴覚障害者」にとって、適合補聴器が獲得できるか否かで、その後の人生は認知症・寝たきりで人間として生きて行けなくなるのか、人間としての人生を全うできるのか、一人ひとりにとって大きな差となると共に、社会的にみると前述の如く膨大な数で、その殆どは適合補聴器が獲得できていないので、老人医療費・介護費に係わる大問題であり、増税・減税、引いては国債、県民債、市町村民債に係わる問題になっていることを国民全体が認識し、国・国民全体で必要な対応をすべき時期に来ていることを知るべきである。


  • カテゴリー: 論壇
  • 投稿日:2008年3月17日 月曜日

難聴高齢者は自己責任で適合補聴器獲得を -必要により家族などがこれを助けるべきー

2008年3月1日 土曜日

 平成17年4月の「薬事法改正」(厚生労働省)や平成18年4月の「補聴器相談医」制度化(日本耳鼻咽喉科学会)など、補聴器に関する状況が変って来て、適合補聴器が得られ易くなって来ているはずであるが、難聴者、それに関連する人達、また一般県民、国民の殆どがこれを知らないこともあり、その販売状況は一部を除き殆ど以前と変っておらず、適合補聴器が獲得できず、聴くことを諦め、その結果コミュニケーション障害から家族・社会より遊離・孤立し、精神的な動物である人間は、生きて行く意欲、自信を失い、閉じ込もり、寝たきり、認知症などと、人間として生きて行けなくなる人々が増えていることは非常に困ったことである。

 従来から、否現在でもなお、殆どのお年よりは「お上(かみ)に」、「誰々(有力者や補聴器については所謂専門家)などに」おまかせにして来たことも一因としてある。一人ひとり聴え方は異なるので、よく聴えないからとか、ガアガアうるさいからと簡単に諦めないで、自分の聴え方に合い、気持ち良く聴え、言葉がわかり易くなる迄、試聴・貸し出しの段階から遠慮しないで訴え、メーカーにより音質が異なるように感じる人もあるので、数メーカーの補聴器を聴き較べ、自分で満足・納得出来るようになって始めて購入すべきで、購入後も装用指導(補聴器を良く使いこなすための指導・トレーニング)を含め、不都合なこと、納得いかないことがあれば何回でも通って、調整させるべきなのである。
 これが充分うまく行っていないようであれば、即ち補聴器を良く使い、コミュニケーションが良好でなければ、家族や周囲の人達などがよく聴えるようになるまで励まし、不都合なことなどを訴え続けさせなければならない。

 以前よくあったように、否現在もなおあるようだが、子供や孫が「敬老の日」などを機会に、本人抜きで購入したり、県外より送ったりしないこと、当然本人の聴え方に調整されていないので、殆どが使用できず、贈った方が満足しているだけで、贈られた方は難渋し、補聴器は使用に耐えぬものと思い、以後使用せず、聴えないままでいると、前述の如く、閉じ込もり・寝たきり・認知症などに追いやることになっていることに気付くべきである。

 情報社会、どう云う施設でどのような取り組みをしているのかはわかり易くなって来ているので、良く検索し、指示されているように行われ、利用者が満足しているか否かの情報も、口コミ社会の沖縄では得られやすいはずであるから、良く確かめて対応すべきであり、家族なども協力して、適合補聴器が得られるように、充分活用できるようにし、人生を継続・発展させ、コミュニケーション良好で家族・社会と仲良く付き合い、正確な情報獲得により、その時代に合った生き方を模索し、亡くなる直前まで自立し、人生をエンジョイ、人間としての人生を全うするようにさせてあげてほしいものである。


  • カテゴリー: 論壇
  • 投稿日:2008年3月1日 土曜日
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