福祉の充実が叫ばれて、種々の施策・提案が実施・実現してきていることは喜ばしいことであるが、聴覚障害者に関連するものは相変わらず蚊帳の外である。ほとんどが提案する場も与えられず、一番遅れたままに放置されている現実をいかにしたらよいのであろうか。
これは、聴覚障害者は人目につかないし、自分が聴覚障害者であることを隠す人が多く、特にお年寄りの場合 には、自分はもう年だからとあきらめてしまう人がほとんどだからであり、その不満、不自由さを世間に訴えないからである。
しかし、70才代以上になると、約半数の人が補聴器が必要なほどに聞こえが悪くなってきており、それをそのまま放置しておくと、コミュニケーション障害だけでなく、生きがいを、生きる意欲を失い、「寝たきり」「痴呆」につながってくることは、先年の当県の「長寿世界一宣言」の際に露呈している。そして、その可能性は当県のように高齢化が進んでいる地域では最も頻度が高く、その障害者数は前述のごとく高齢者の約半数であるから、他の障害者に比し、はるかに多数であり、ほとんどの人にその可能性がある。
ただ、自分がなっていない時は関心がなく、なりつつある時には補聴器は年寄りくさいから、格好悪いからと敬遠し、いよいよ聞こえが悪くなると年だからとあきらめてしまい、世間にアピールしないので、世間の人々も特に対応を考える必要もないと思っているわけである。
そのために多くの人の人生が聞こえが悪くなっただけで、補聴器適合制度が確立し、磁気ループ設置などの社会施設が整っている欧米先進国と異なり、活力を、生きがいを、生きる意欲を失う方向になってしまっているのは、実にやりきれないことである。
磁気ループとは、補聴器はせいぜい三メートルぐらいまでの音しか拾わないので、講演会などでは講演者の声は聞こえないが、会場に磁気ループを張りマイクシステムに接続し、そのループ内に入り補聴器を調整すると、マイクの音を直接補聴器の中に入れることができる装置である。欧米先進国では、公共の集会場、講演会場、劇場、音楽会場に設置されているのが常識となっている。
聴覚障害者の方々は、聞こえが悪くなっても、絶対にあきらめないでほしい。現在の医学水準では、補聴器を適合させ、さらに必要によって「ききとり訓練」を行い、また人工内耳を活用すれば、現時点でも聾(ろう)者を含め98.9%以上の聴覚障害者が言葉によるコミュニケーションを獲得できる。(不幸にして聾で出生しても、現在ではその70%以上は人工内耳で言葉によるコミュニケーションにより、健聴者と同じに生活ができるようになってきている。)
現在、「手話」や「要約筆記」が充実してきたことは重要なことではあるが、あまりこれに頼りすぎて、聞く意欲を失ってしまうと、前述の「ききとり訓練」や「人工内耳」が成功しなくなるので、聞こうとする意欲を失わず、聞こえるようになるために、どのようにしてほしいか、世間にアピールしていただきたいものである。
※1996年(平成8年)11月21日 琉球新報「論壇」投稿 掲載の文